1997年1月11日地獄の日々が始まりました。
私の住む輪島市光浦海岸は海岸線一帯、海草がびっしり付いている、自然の岩礁地帯で、
そのためサザエ、アイナメ、海たなご、メバル、など数え上げればきりがないほどの
魚介類に恵まれているところです。
しかし重油被害によって、すべては地獄のように豹変してしまいました。
海草にへばりつくC重油、えらの中までびっしり油の詰まったアイナメ、生物の死臭や、
油のにおいの混ざり合った何とも言えない いやな臭気。
すべてはロシア船「ナホトカ」によって変えられました。
重油作業中は村中総出で 作業にかかりましたが、みなさんその間は当然仕事に行けません。
作業自体は限界が5時間ですが、(ちょうどそのときは毎日5キロのジョギングをしていましたが、その作業はそれを ゆうに越えるハードなものでした)
漁師町の年寄りは絶対につらいとは言いません。
しかし体が動かなくなる年寄り衆が出てきます。
回収の人でが、一人減り、二人減りして最後にはかなり少なくなり、回収終了宣言が出た頃は
もうみんな体がぼろぼろになり、年寄り衆の辛い顔を見ていると本当に涙が出そうになりました。
ロシアの人々は本当に悪いと思っているのでしょうか?
本当に出来るならばロシアのナホトカに行って重油を1万トン流してきたいほどです。
今北海道でロシア人お断りの店が多いようですが、このことがなければ私も そんなにいやがらなければ良いのにと、思っているとおもいますが、今は当然と思っていますよ!!
それと、ガラパゴス島の重油被害は本当に、気の毒です。
あの悠々と何の心配もなく、過ごしていた大トカゲが重油まみれになっていると思うと、
本当にかわいそうで仕方ありません。
重油とはどういうものか、それはみなさんも経験があると思いますが、車にタールがこびり
付きますよね、あの感覚です(量が違いますが)。
4年たった今の私の家の前にはテトラの上にはあとが残っています。
一生忘れません!!
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